これからの「正義」の話をしよう
いま第3章まで読みました(全部で10章あります)。ここまでの感想としては、ひとえに<論理の組み立て方の勉強になる>、ということです。このように、論理をグイグイと推し進めるさまは、なかなか日本の著作には見られないところです。翻訳もいまのところ、なかなか読みやすいです。
ただ、ところどころに違和感がありまして、たとえば、冒頭で、「ハリケーンで被害にあった人に対して、家の修理代や水を高く吹っ掛けるのは不当か否か」、という問題提起がありました。このような提起は、たぶん日本ではあり得なくて、こんなことをやってしまった人は、恐らくですが、社会的に抹殺されると思います。いま地震被災地の惨状が報道されていますが、このようなことは私の知る限りはないはずです。というか、あってはいけない。
それが、アメリカでは、上記の議論が一応成立するらしいです。もちろん、感情的には日本人とそんなに変わりはないと思うのですが、それでも、意見することは自由なので、まずそれは聞きましょう、という社会の了承があるのでしょうか。
私などは、上記の問題提起などは、「議論の余地なし」「こんな議論に肯定的主張する人の人格を疑う」などとなってしまうのですが、それでも、あらゆる可能性を考えて議論しようとする姿勢に対しては、何かしら敬服する(或いは羨ましい?)思いはありますね。読み進めるのが楽しみです。